誰も知らない偉人伝・がんは光で簡単に殺すことができた!

ロイヤル・レイモンド・ライフ博士。がん歴史の中でも知名度の低いライフ博士ですが、実は、凄い偉業の持ち主なのです。驚くことに彼が開発・発明したのは、あらゆる種類の病気を完治させる治療法なのです。

しかし。今日も病気に苦しみ、死んでいく人は後を経ちません。なぜ彼の研究成果が、医療現場でさえもあまり知られていないのか 。今回は、そのライフ博士の壮絶な人生と彼の成果を巡る論争について取り上げます。

科学者ロイヤル・レイモンド・ライフ博士

ロイヤル・レイモンド・ライフは、1888年にアメリカ・ネブラスカ州に生まれました。幼い頃から好奇心旺盛で利発であったライフは、医者になることを決意し、ジョンズ・ホブキンスで医学を勉強しました。その後、ハイデルブルグ大学で細菌学を研究し、多くの菌類標本の写真の撮影に成功しました。その功績がたたえられ、同大学から寄生虫学の名誉博士号を授与されました。当時の顕微鏡の倍率などを考察するため、ライフ博士は光学レンズ社・ツァイス社に入社し、知識を深めました。

このように、ライフ博士は多岐に及ぶ専門分野を持っていました。彼は独学で知識を身につけており、枠にとらわれない方法で研究する科学者でした。そのため各分野の専門家を集めて研究を進めるのではなく、彼一人であらゆる知識を駆使できたのです。

ユニバーサル・マイクロスコープの発明

ライフ博士は、当時の顕微鏡の倍率などの性能に限界を感じていました。当時の顕微鏡の倍率の2500倍では、実際に病気を引き起こしているウイルスを見ることができませんでした。これを可能にすべく、ライフ博士は自ら顕微鏡の開発を始めました。

1920年までにライフ博士は、ウイルスを見る事が出来る顕微鏡を完成させました。改良を重ね、1933年に完成したのが、約6000個の部品からなる「ユニバーサル・マイクロスコープ」でした。ユニバーサル・マイクロスコープは6000倍の倍率を可能にしました。また、現代の電子顕微鏡では、即座にすべての微生物が死んでしまいますが、ライフ博士の顕微鏡では、生きているウイルスを観察出来ました。そのため、ウイルスの発生や進行の過程を観察することができたのです。これはもちろん、正常な細胞ががん化させていく様子も観察出来ました。

その後、ライフ博士は倍率の良い顕微鏡でも、無色のウイルスを見ることは出来ないことに気づきました。そこで、特定の色の波長の光を微生物に当てて、白い光では見えなかった微生物を見る技術を開発しました。また、紫外線を使って観察する方法では、ウイルスを人間の肉眼でみることが出来なかったため、「ヘテロダイン」と呼ばれる初期のラジオ放送で用いられていた周波数を変換する技術を使い問題を解決しました。

ウイルスを破壊する技術の開発

ライフ博士は顕微鏡でウイルスの動きを観察・研究しているうちに、ウイルス独自も振動していることを発見しました。そのウイルスと共振する周波数の光を当ててウイルスをさらに振動させ、ウイルスが耐えられなくなるまで照射しました。するとウイルスの形は歪み、周りの細胞を傷つける事なく、そのウイルスだけが破壊したのです。

ライフ博士はこの周波数を「致死反応振動数」と名付けました。この治療法は、電気を使用した治療なので費用が安く、副作用の心配もありませんでした。

成果を巡る論争と圧力

画期的な成果を上げてきたライフ博士ですが、それは周りの論争や圧力によってなかったこととされてしまいました。ユニバーサル・マイクロスコープを使った研究結果に、当時の研究者たちは「根拠のないこと」として、否定を続けました。当時は、飛行機など交通の便に危険を伴うものが多かったので、わざわざライフ博士の元を尋ねて、その目でユニバーサル・マイクロスコープを通してウイルスの動きを確認する者もいませんでした。そのためライフ博士の成果は、確認されずに科学的事実として確立されてしまったのです。

さらに、1934年に米国医師会の株式を全て所有していたモリース・フィッシュベイが、ライフ博士を買収しようとはたらきかけましたが、ライフ博士はその誘いを断りました。
モリース・フィッシュベイはアメリカ医学会や医学協会誌の主任編集員でありながら、一度も患者を診たことがありませんでした。彼は医療に従事することよりも、お金や権力に執着する人物でした。過去には、彼に逆らう研究者に無免許での医療行為などという理由で何度も逮捕させ、圧力をかけて追放しました。

フィッシュベイが、ライフ博士へ行った弾圧行為は逮捕ではなく、別の方法でした。それは、ライフ博士の研究所から研究記録や書類を盗み、スポンサーであるニュージャージー州のバーネット研究所が放火されるというものでした。もちろん、容疑者は捕まっていません。また、ユニバーサル・マイクロスコープは何者かによって破壊され56,782もの部品が盗まれました。そして最後に、令状なしの捜査によって、残りの研究記録も全て処分・没収されてしまいました。

ライフ博士の残りの1/3の人生はアルコールに溺れたものであり、ライフ博士の死と共に彼の研究成果も消えてしまったのです。

現代の医療現場における周波数治療

ライフ博士の死後も何度か彼の技術を再現しようと研究が進められています。1986年には、バリー・ライフが「The Cancer Cure That Worked (成功したがん治療)」を発表し、再びライフ博士の功績が明るみに出ました。

現在までに様々なデザインや価格でライフ博士の周波数治療器を再現したものが出回っていますが、それがライフ博士の治療と同じ効果があるのかは定かではありません。ライフ博士の名前だけを使って、オリジナルの治療器を開発しているものも多いからです。

なお、ライフ博士の周波数治療は、現在においても正式な医学治療法としては禁止されています。